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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和51年(ワ)65号 判決

原告

渡辺律

ほか四名

被告

大木茂

ほか一名

主文

一  被告らは各自、原告渡辺律、同渡辺光子に対し、各金二六五万六、六六二円およびこれに対する昭和五一年八月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告中沢正行に対し、金一、五七〇万一、七九〇円およびこれに対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告中沢竹行、同中沢みつに対し、各金二〇〇万円およびこれに対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告渡辺律、同渡辺光子、同中沢正行の、その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一二分し、その二を原告渡辺律、同渡辺光子の負担とし、その三を原告中沢正行の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

一  被告らは各自、

原告 渡辺律に対し金四〇九万一、八四〇円

原告 渡辺光子に対し金四〇九万一、八四〇円

原告 中沢正行に対し金二、六四八万〇、七三五円

原告 中沢竹行に対し金二〇〇万円

原告 中沢みつに対し金二〇〇万円

及びこれらに対するいずれも昭和五一年八月一五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

第二請求の趣旨に対する被告らの答弁

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

第三請求の原因

一  (交通事故の発生)

訴外亡渡辺巧(以下、「訴外渡辺」という。)並びに原告中沢正行(以下、「原告中沢」という。)は、左の交通事故により死傷した。

1  日時 昭和四八年一二月二日午前二時四〇分頃

2  場所 印旛郡四街道町鹿放ケ丘二三二番地先国道東関東高速自動車道路上

3  加害車両 普通乗用自動車(千葉五五の二、七〇五号―以下「大木車」という)

普通乗用自動車(千葉五五ほ九、二四五号―以下「綿貫車」という)

4  運転者 大木車―被告大木正実(以下「被告大木」という。)、綿貫車―被告綿貫芳己(以下「被告綿貫」という。)

5  態様 前記日時場所を、佐倉市方面から千葉市方面に向かつて時速約一三〇キロメートルの高速で抜きつ抜かれつしながら走行中の大木車と綿貫車が接触し、走行の自由を失つた綿貫車が暴走し、防護柵等に衝突横転した結果、綿貫車に同乗中の訴外渡辺が即死原告中沢が重傷を負つた。

二  (責任原因)

(一)  被告大木茂は大木車の、同綿貫勘一は綿貫車の所有者であり、各々右加害車を自己のため運行の用に供していた者であるから、自賠法第三条により本件事故によつて原告らが蒙つた損害を賠償する責任がある。

(二)  被告大木、同綿貫はいずれも自動車運転の業に従事する者であるから法定速度を守り、充分の車間距離を保ち万が一にも接触、追突等の事故が発生しないよう細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるにも拘らず、これを怠り、制限時速八〇キロメートルを五〇キロメートルも超える高速で進行し、両車が抜きつ抜かれつの競走をしていた過失により、たまたま先行中の綿貫車(被告綿貫運転)の後部に大木車(被告大木運転)の前部が追突、接触したため綿貫車が走行の自由を失つた結果、本件事故が発生したものであるから両名は民法第七〇九条第七一九条第一項により損害を賠償する義務がある。

三  (訴外渡辺死亡に伴う損害)

(一)  逸失利益 金一、三九〇万一、七八〇円

(イ) 亡渡辺は、昭和三一年八月一日生れ(事故当時一七年四月)の健康な男子であり、高校中退後家業の農業に従事しつつ将来運転の業務に就くべく自動車教習所に通つていたものであるから、本件事故にあわなければ七二歳まで生存し(厚生省昭和四八年簡易生命表によれば、一七歳の平均余名は五五、二八年である)、六七歳に達するまで四九年間稼働して年々相当額の収入を得られたものである。

(ロ) 右得べかりし利益を算出するにつき、昭和四八年度賃金センサス第一巻第二表産業計企業規模計によれば我国の新中卒男子全年齢平均給与額は月額一〇万五、〇〇〇円、年間賞与その他特別給与額は二七万〇、三〇〇円(合計年収一五三万〇、三〇〇円)であるから訴外渡辺も本件事故にあわなければ、右収入を得られたものと推認される。

(ハ) 右年収から生活費を五〇%控除し、稼働年数に対応するライプニツツ係数(四九年間一八・一六八七)により中間利息を控除すると、訴外渡辺の得べかりし利益の現価は左の通り金一、三九〇万一、七八〇円となる。

(105,000円×12月+270,300円)×(1-0.5)×18.1687=13,901,780

(ニ) 原告渡辺律及び渡辺光子は、亡渡辺の父母として、右損害賠償請求権の二分の一に当る金六九五万〇、八九〇円をそれぞれ相続により取得した。

(二)  葬儀費 金四〇万円

原告渡辺夫妻は、亡渡辺の葬儀ないし法事関係費用として相当多額の出費を余儀なくされたが、内金四〇万円(二〇万円づつ)が本件事故と相当因果関係のある損害である。

(三)  慰藉料 金六〇〇万円

原告渡辺夫妻は、手塩にかけて養育し、これから成人するのを楽しみに待つていた最愛の息子を輪禍により突然失つたものであり、その蒙つた精神的苦痛は何ものを以つてしても償い得るものではない。敢えて金銭により慰藉するとすれば金六〇〇万円(三〇〇万円づつ)が相当である。

(四)  弁護士費用 金五〇万円

原告渡辺夫妻は、被告らが誠意ある態度を示さず、円満な示談による解決ができなかつたため、やむを得ず本訴提起を弁護士に依頼する他なく、その手数料報酬として相当額の出費を余儀なくされたが、うち本件事故と相当因果関係にある損害は金五〇万円である(二五万円づつ)。

(五)  弁済

以上の通り、原告渡辺夫妻は、各々合計一、〇四〇万〇、八九〇円の損害賠償請求権を有するところ、既に自賠責保険から金一、二六一万八、一〇〇円の弁済を受けているので、これを各々二分の一の割合(六三〇万九、〇五〇円づつ)で右損害に充当した。

よつて残額は、各々金四〇九万一、八四〇円となる。

四  (原告中沢の受傷に伴う損害)

(一)  治療の経過と後遺障害の発生

1 原告中沢は、本件事故により頭部打撲傷、脊椎骨折、右肺破裂、脊髄損傷、腸管破裂等の傷害により左の通り入院治療を余儀なくされた。

イ 浜野病院

昭和四八年一二月二日入院、同月二三日退院(入院期間二二日)

ロ 九十九里ホーム病院

同月二四日入院、翌昭和四九年一〇月一三日退院(入院期間二九四日)

ハ 国立箱根療養所

同月一五日入院、翌昭和五〇年一一月一日退院(入院期間三八〇日)(症状固定)

ニ 同療養所

翌昭和五一年二月一日入院、同月一一日退院(入院期間一一日)(後記2の定期精密検査のため)

2 原告中沢は、以上の通り長期間の治療(実入院日数六九六日間)を受けたが、両下肢の運動及び知覚完全麻痺により両下肢の用を全廃し(後遺障害第一級第五号該当)、その他膀胱、直腸、性器に著しい後遺障害を残し、引き続き将来も定期的に年二回精密検査のため各々一〇日間位の入院を要する状態である。

(二)  原告中沢の損害

1 治療中の損害 合計金六〇二万三、二七四円

イ 治療費(金一六五万八、二七四円)

前記入院中の治療費のうち、昭和四九年四月一一日までの分については加害者(被告ら)側が直接病院に支払済であるが、その余の左の金員は原告中沢が支払つた。

九十九里ホーム病院分 金一二九万二、六八〇円

国立箱根療養所分 金三六万五、五九四円

ロ 付添看護費(金六三万二、〇〇〇円)

原告中沢は、前記傷害により生死の境をさまよい、たび重なる手術を受けてきたものであり、受傷日から九十九里ホーム病院を退院するまでの三一六日間、両親はじめ肉親の者が自己の仕事を犠牲にして毎日欠かさず付添い、身の回りの看護をした。そのため一日二、〇〇〇円の割合による前記金額の損害を蒙つた。

なお、加害者(被告)側で職業付添婦一名を通算一〇八日間雇い入れたことはあるが、原告中沢の症状が重篤で昼夜通して付添看護を必要とし、右付添婦一名では看護が不十分であつたのであるから、そのことにより前記肉親の付添料を減額すべきではない。

ハ 入院雑費(金三五万三、〇〇〇円)

原告中沢は延べ七〇六日間入院し、その間多額の支出を余儀なくされたが、うち相当因果関係のある損害は一日五〇〇円の割合による右金員である。

ニ 入院中の慰藉料(金二〇〇万円)

原告中沢は前記の傷害により生死の境をさまよい、たび重なる手術による苦痛を耐え、延べ七〇六日間に及ぶ入院加療を余儀なくされたものであり、その間に受けた精神的肉体的苦痛は筆舌に尽し難いものがある。これを慰藉するには金二〇〇万円が相当である。

ホ 休業補償費(金一三八万円)

原告中沢は事故当時工員として住み込み勤務し、月々少くとも六万円の収入を得ていたものであるが、本件事故により症状固定時(昭和五〇年一一月一日)まで一年一一月間休業し、その間少くとも右金員の得べかりし利益を喪失した。

2 後遺障害による損害合計金四、〇六六万七、四六一円

(1) 逸失利益(金二、七六六万三、三八六円)

イ 原告中沢は前記の通り後遺障害等級第一級の傷害を蒙り一〇〇%の労働能力を喪失した。

ロ 原告中沢は昭和三二年二月二七日生れ(事故当時一六年九月)の健康な男子であり、高校中退後大工の見習、鉄筋工として働いていた者であるから、本件事故にあわなければ七二歳まで生存し六七歳に達するまで稼働し、年々相当額の収入を得られたものである。

ハ 原告中沢の得べかりし利益を算出するにつき昭和四八年賃金センサス第一巻第二表産業計企業規模計によれば、我国の新中卒男子全年齢平均給与額は月額一〇万五、〇〇〇円、年間賞与その他特別給与額は二七万〇、三〇〇円(合計年収一五三万〇、三〇〇円)であるから、原告中沢も本件事故にあわなければ、年平均右収入を下らない収入を得られたものと言うべく、前記後遺症固定時(一九歳として計算する)から六七歳に達するまでの稼働年数四八年間の中間利息をライプニツツ方式(係数一八、〇七七一)で控除すると、原告中沢の得べかりし利益の現価は金二、七六六万三、三八六円となる。

(105,000円×12月+270,300円)×18.0771=27,663.386

(2) 後遺障害に対する慰藉料(金一、〇〇〇万円)

前記の通り原告中沢は、両下肢の機能を全廃したため、一生涯車イスの生活を送る他なく、また性器の機能障害のため妻を迎えることも、結婚生活を送ることも殆んど絶望的であり、かつ重度身体障害者として冷たく見られる等、これからの長い人生はまさに悲惨という他ない。

楽しかるべき青春時代の中途において、かかる傷害を蒙つた原告中沢の精神的苦痛は何ものを以つてしても、慰藉することはできない。金銭を以つて慰藉するとすれば、本件事故の実態、被告らとの関係等を考慮したうえ金一、〇〇〇万円が相当である。

(3) 将来の治療費(金五四万七、六七七円)

前記の通り原告中沢は、症状が固定したとはいうもののこれからも引き続き定期的に精密検査を受ける必要があり、その他後遺障害に伴い更に新たな症状が発生し、その治療のため将来いかなる出費を余儀なくされるか測り知れないが、少くとも右検査を受けるために前記箱根療養所に年二回約一〇日間位づつ入院し、その入院費、交通費等で年間三万円を下らない支出を余儀なくされることは明らかである。

よつて右定期検査に伴う年間出費の五〇年間分について、ライプニツツ方式(係数一八、二五五九)により中間利息を控除した前記金員の支払を求める。

(4) 車椅子代(金四五万六、三九八円)

前記の通り原告中沢は、死亡するまで車椅子の生活を送る他なく、車椅子は同原告の身体の一部とみなされる程必須となる。車椅子は一台金一〇万円を下らなく、その耐用年数は四年を超えないから、その購入費として年間二万五、〇〇〇円の出費を余儀なくされることは明らかである。

よつて右車椅子代として、五〇年間分についてライプニツツ方式(係数一八・二五五九)により中間利息を控除した前記金員の支払を求める。

(5) 居宅改造費等(金二〇〇万円)

前記の通り原告中沢は、生涯車椅子の生活を余儀なくされる結果、居住家屋についても種々改造を余儀なくされる。又現在は父原告中沢竹行方に居候しているものの、将来は独立して自活できる居住環境を整備する必要があり、そのために多大の出費を余儀なくされることは明らかである。

3 弁済(金二、〇二一万円)

以上の通り、原告中沢の損害は合計金四、六六九万〇、七三五円であるところ、自賠責保険から金二、〇〇〇万円を受領し、更に被告らから生活費として金二〇万円、見舞金として金一万円を各々受領済であるからこれを右損害金に充当すると残額は金二、六四八万〇、七三五円となる。

(三)  原告中沢の両親の固有の慰藉料合計金三〇〇万円

原告中沢竹行、同みつ夫妻は原告中沢を手塩にかけて養育し、ようやく社会人にまで育てあげ、同人のこれからの活躍を心待ちにしていたものであるが、かかる期待も無惨に打ち砕れた外、長期間の療養生活を送る間、原告中沢と共に苦しみ、又これからの行く末も生命ある限り原告中沢のために物心両面にわたり苦痛を共にしなければならない破目に追い込まれている。

よつて被告らは、原告中沢夫妻に対し、右両名の蒙つた、又将来蒙るであろう固有の精神的苦痛に対する慰藉料として金三〇〇万円(一五〇万円づつ)を支払うべきである。

(四)  弁護士費用金一〇〇万円

原告中沢及び中沢夫妻は、被告らが誠意ある態度を示さず、円満な示談による解決ができなかつたため、やむを得ず本訴提起を弁護士に依頼する他なく、その手数料、報酬として相当額の出費を余儀なくされたがうち本件事故と相当因果関係にある損害は金一〇〇万円である。

右支払は原告中沢夫妻が各々二分の一づつ(五〇万円)を負担する約束である。

五  (原告中沢の一〇〇パーセントの労働能力喪失について)

(一)  (はじめに)

原告中沢が本件事故により「両下肢の運動及び知覚完全等の後遺障害を蒙り、これが自賠法施行令後遺障害別等級表の第一級五号に該当することは明らかである。しかして、右等級表はその労働能力喪失を一〇〇パーセントと定めているのであるから特段の事由がない限り、原告中沢の労働能力喪失率は一〇〇パーセントというべきである。原告中沢は現在、就業し、若干の収入を得ているが、それにも拘らず、労働能力喪失割合は一〇〇パーセントであるとして損害賠償すべきであることを、以下に就業に至つた経緯、現状及び将来の見込み等を明らかにしたうえで述べる。

(二)  (症状固定から就業に至る経過)

1 昭和五〇年一一月一日原告中沢は箱根療養所を退院し(この日を以つて症状固定)山武郡山武町の自宅に帰り、両親の看護養育のもとで車椅子の生活を送ることになつた。幸い自動車免許を取得したことから外出のために同月五日普通乗用自動車を一二六万九、九七〇円で購入し、更に車椅子の出入のため一〇万六、〇〇〇円の経費をかけて庭の一部にコンクリート道を作るなど身辺の整備をした。然し身障者としての精神的負い目等から近隣の友人との交際は次第に途絶え、「同病相憐れむ」の例通り原告中沢の交友関係は箱根療養所入院時代の者に限られるようになつた。そして収入はなく、出費だけが重む毎日を送る中で本人はじめ肉親は原告中沢の将来行く末を案じ、暗たんたる思いにかられていつた。

2 翌五一年暮頃、原告中沢は何か職を求めて生きがいを見出そうと千葉県内で職場を捜したが、特殊技能等持ち合わせのない原告中沢を雇つてくれる者は皆無であつた。そこで止むなく神奈川県の身体障害者の知人に相談し、ようやく職場をみつけることができたのである。

3 神奈川県奏野市鶴巻に所在する(有)星久商会は、全従業員一〇名程の零細企業であり、代表者藤栄久次郎はじめ殆んどが身体障害者であり、木彫刻関係の製造をしている会社である。原告中沢は右会社で神奈川県の実施する職場適応訓練を受けるべく、昭和五二年一月一八日右会社の通勤に便利な処に所在し且つ身障者の入居できる借家として、平塚市岡崎所在の借家(家主小林茂)を敷金礼金合計五万四、〇〇〇円を支払い、賃料月二万七、〇〇〇円で借り受けた。そして二月五日右借家に転居し、身辺整理をしつつ職場適応訓練実施決定を待つた。そして右訓練の始まる五月一日まで全く収入はなく月々相当額の出費を余儀なくされた。

(三)  (職場適用訓練と就職)

1 原告中沢は、神奈川県知事の左記職場適応訓練実施決定通知書に基づき訓練を行つた。

委託先 前記(有)星久商会

職種 彫刻工

期間 昭和五二年五月一日から同年一〇月三一日まで(六ケ月間)

手当 日額合計三、九五〇円(神奈川県支給)

2 右期間中、原告中沢は六月二四日から八月五日まで褥瘡手術のため入院したり身体の具合が悪く十分訓練の実が上らなかつたため、訓練期間を更に六ケ月間延長され、昭和五三年四月末日まで訓練を続けたが、右訓練期間中に原告中沢に支給された訓練手当は極く少額であつた。

3 昭和五三年五月一日から原告中沢は委託先の前記会社に彫刻工として、日給三、〇〇〇円勤務時間午前九時から午後六時までとして雇用された。しかし、身体障害の影響により月々の就労は思うように行かず、月収は五万円程度である。そのため右会社も特別に通勤費、生活補助費の名目で月二万五、〇〇〇円の補助をしている状態である。

(四)  (諸経費)

原告中沢は前記会社に就労するため、借家を借りたり等の特別の出費を余儀なくされた外、身障者として就労し、かつ日常生活を営むため月々種々の特別出費を余儀なくされている。即ち

1 家賃 二万九、〇〇〇円

(但し、五三年一月一八日から。原告中沢は長男であるから借家住いする必要は本来なかつた。)

2 通勤用車のガソリン代 二万円

(車イスでは通勤は勿論、日常行動も不可能である。)

3 尿収器(スキン、プリセリン液など)代 四、〇〇〇円

(日常尿収器を備えつけなければならない。)

4 着衣その他購入代 一万二、〇〇〇円

(失禁によりパンツ、タイツ、ズボン等の着衣を破損したり、おしりパツト、ベツトのシーツを汚したりすることは度々である。)

(以上合計 六万五、〇〇〇円)

その他、借家に独居生活をしているため、食事、洗濯、掃除、入浴等、五体満足な人間には考えられない諸々の経費が重むことは明らかであろう。従つて、前記の如き稼働による収入は殆んど右特別経費に当てられることになるのである。

(五)  (将来の見透し)

以上の通り、原告中沢は重度の身体障害者でありながら僥倖に恵まれ職場を得るに至つたが、長期間訓練を受けた現在の職場ですら前記の程度しか稼働することができない状態であり、今後車イスの生活から来る腎臓、膀胱等内臓諸機関の機能低下及びそれに伴う諸疾病の発病の危険性は極めて高く、将来とも現在と同様の稼働が続けられる保証は全くない。更に、現在雇用されている前記会社は極めて零細の企業であり、経済変動の激しい我国経済界において、右会社が将来にわたり原告中沢を雇用していくとの保証は全く存在しない。そして、右会社を解雇された場合、再就職の可能性を考えると殆んど絶望という他ないのが現状である。

以上の次第であるから、現在原告中沢が稼働し、若干の収入を得ていることの一事を以つて、同人の労働能力喪失一〇〇%を変更する特段の事由ありと断ずることは到底できないと言わざるを得ない。

又仮りに、将来とも引き続き現在と同等の稼働が可能であるとしても、その得た収入は稼働のために必要な前記特別経費に殆んどあてられてしまうことは明らかであるから、いずれにしても、実収入は零という他ないと断ぜざるを得ないものである。

六  (結語)

よつて、原告らは被告らに対し各自、請求の趣旨記載の金員及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五一年八月一五日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴の提起に及んだ。

〔被告大木正実、同茂関係〕

第四請求の原因に対する認否

一  第一項の事実は認める。

二  第二項の(一)のうち、被告大木茂が大木車の所有者であることは認め、その余の事実を争う。

三  同項の(二)の事実を争う。

四  第三項の(五)のうち弁済の事実は認め、その余の同項の事実はすべて不知。

五  第四項の(二)の3の弁済の事実は認め、その余の同項の事実はすべて不知。

六  第五項は争う。

第五被告大木正実、同茂の主張

一  (過失相殺)

(一)  本件事故当日、被告大木は学業のかたわら、家計を助けるため、当時アルバイトとして勤務していた「どさんこラーメン」の店に働いていたところ、被告綿貫、原告中沢、訴外渡辺らは当時同人らがたまり場としていた「山口自動車」に遊びに行つて一緒になり、翌日(昭和四八年一二月二日)が日曜日であつたところから、徒党を組んで出かけることに話が決まり、右の者らは被告大木を誘うため、同被告の働いていた右店に押しかけ、執拗に同行を勧誘した。同被告は元来おとなしい性格であつたので、右の者らの誘いを断りきれず、ついに同人らと同行することとし、一旦同被告方に集合し、一泊することとなつた。ところが、翌朝ドライブするには被告綿貫の運転する車にガソリンが足りなかつたことから被告大木に案内をさせて、給油所までドライブかたがた出かけることになつた。その途中、本件事故が発生したものであつて、本件事故時の被告大木の運転行為は被告綿貫、原告中沢、訴外渡辺らの勧誘要望のもとに行われていたものである。

(二)  前記の如く、深夜の午前二時すぎ頃、一七、八歳の同年輩の若者五人(しかも被告大木以外は高校中退組のグループである)が遠方のガソリンスタンドまで乗用車二台に分乗して高速道路をドライブするとなれば免許をとつて得意になつていた被告綿貫、同大木らのことでもありスピード競争を楽しむような事態になるであろうことは事前に十分予想ができたのである。

このような状況下において、訴外渡辺、原告中沢は敢えて他の仲間と話し合つてドライブに行くことを決め、かつ自ら選んで被告綿貫の車に同乗したものであるから、危険な同乗者として過失相殺を免れないばかりか、雑談等に興じ漫然危険なスピード競争を放置したのみならず、猛スピードでの追い抜きによるスリルを楽しんでいたものであるから、訴外渡辺、原告中沢の過失は重大である。

(三)  本件事故において、訴外渡辺が死の結果を招き、原告中沢が重大な傷害の結果を招いたことの有力な原因のひとつは、同人らがドアロツクを怠つたため、衝突の衝撃によりドアが開いて同人らが車外へ放り出されたことにある。したがつて、この点についても訴外渡辺と原告中沢とに重大な過失が認められる。

(四)  原告渡辺律、同光子らは、自己の出費により、訴外渡辺を自動車教習所に通わせ、将来、同人に乗用車を買い与えるべき計画であつたものであるから、教習所で教えられているとおり、自己および同乗の友人に対し、交通法規を守り、安全運転に徹するよう監督する義務を負つていたところ、その義務を怠つたため、訴外渡辺において本件のような深夜のスピード競争に加わり、死亡の結果を招いたのであるから、右原告両名においても、その監督義務の懈怠による過失相殺を免れない。

以上のような原告らの過失を考慮すると、原告渡辺律同光子については少くとも六割の、原告中沢正行、同竹行同みつについては少くとも五割の、各過失相殺が相当と思料する。

二  (弁済)

(一)  原告渡辺に対して支払つた額(合計金六三〇万九、〇五〇円)

右被告の自賠責保険により支払われた額 金六三〇万九、〇五〇円

(二)  原告中沢に対して支払つた額(合計金一、二〇一万九、五〇〇円)

1 右被告の自賠責保険より支払われた額金一、〇〇〇万円

2 入院費(合計金一〇〇万〇、八七〇円)

(イ) 浜野病院(金三七万九、七二〇円)

(1) 昭和四八年一二月二日から同年一二月一一日までの分として 金二九万二、三二〇円

(2) 昭和四八年一二月一二日から同年一二月二三日までの分として 金八万七、四〇〇円

(ロ) 九十九里ホーム病院(金六二万一、一五〇円)

(1) 昭和四八年一二月二四日から同年一二月三一日までの分として 金二万五、三一〇円

(2) 昭和四九年一月一日から同年一月三一日までの分として 金一一万五、七七五円

(3) 昭和四九年二月一日から同年二月二八日までの分として 金二二万円

(4) 昭和四九年三月一日から同年三月三一日までの分として 金一八万九、七九五円

(5) 昭和四九年四月一日から同年四月一一日までの分として 金七万〇、二七〇円

3 マツト代 金四五、〇〇〇円

4 付添看護料(合計金五七万四、八八〇円)

(イ) 付添人家田ヤス(金一八万二、七四〇円)

(1) 昭和四九年四月六日から同年四月二五日までの分 金七万六、四八〇円

(2) 昭和四九年四月二六日から同年五月六日までの分 金四万一、七四五円

(3) 昭和四九年五月九日から同年五月二五日までの分 金六万四、五一五円

(ロ) 同鈴木とし子(金四万二、三三〇円)

昭和四九年六月一五日から同年六月二四日までの分

(ハ) 同石橋てる(金一三万一、五一〇円)

(1) 昭和四九年七月一三日から同年七月二三日までの分 金四万四、五三〇円

(2) 昭和四九年七月二四日から同年八月二日までの分 金四万三、四五〇円

(3) 昭和四九年八月三日から同年八月一二日までの分 金四万三、五三〇円

(ニ) 同佐藤ひろ子(金二一万八、三〇〇円)

(1) 昭和四九年八月二七日から同年九月五日までの分 金四万四、二〇〇円

(2) 昭和四九年九月六日から同年九月一五日までの分 金四万三、四五〇円

(3) 昭和四九年九月一六日から同年九月二五日までの分 金四万三、四五〇円

(4) 昭和四九年九月二六日から同年一〇月五日までの分 金四万三、六〇〇円

(5) 昭和四九年一〇月六日から同年一〇月一五日までの分 金四万三、六〇〇円

5 見舞金その他(合計金三九万八、七五〇円)

(イ) 昭和四九年

(1) 六月二四日金三万四、八三〇円

(2) 六月二七日金一〇万円(見舞金)

(3) 七月一一日金一〇万円(見舞金)

(4) 一〇月一五日金三万〇、九二〇円(国立箱根療養所入院のための衣料等の購入代金)

(5) 一一月一二日金三万円(見舞金)

(6) 右同日金三、〇〇〇円(被告中沢に代り付添人に謝礼)

(7) 一二月二五日金三万円(見舞金)

(ロ) 昭和五〇年

(1) 二月一六日金二万円(見舞金)

(2) 三月三〇日金二万円(見舞金)

(3) 四月一六日金三万円(車椅子代の内金)

〔被告綿貫芳己、同勘一関係〕

第六請求の原因に対する認否

一  第一項の1ないし4の事実は認める。

5のうち、「時速一三〇キロの高速で抜きつ抜かれつしながら走行中の大木車と綿貫車が接触し」とある部分は否認する。本件事故は、先行していた綿貫車に大木車が高速で接近、追突したため、綿貫車が走行の自由を失つたことが原因である。その余の事実は認める。

二  第二項の(一)のうち被告綿貫勘一が綿貫車の所有者であることは認めるが、本件の損害賠償責任は争う。

三  (二)のうち、先行していた綿貫車の後部に大木車の前部が追突したため、綿貫車が走行の自由を失つた結果、本件事故が発生したものであることは認める。その余の事実は否認する。本件事故は、被告大木の過失によつて発生したもので、被告綿貫には過失はない。

四  第三項の事実中、訴外渡辺が事故当時、原告主張の年齢にあつたこと、原告渡辺律、同光子が同人の父母であることは認める。その余は全部不知。

五  第四項の事実中、原告中沢が本件事故で受傷したこと、事故当時原告主張の年齢にあつたこと、原告中沢竹行、同みつが原告中沢の父母であることは認める。その余は全部不知。

第七被告綿貫芳己、同勘一の主張

一  (免責)

本件事故は、被告大木の過失によつて発生したものであり、被告綿貫には本件事故につながるような過失は全くない。即ち、

(一)  本件事故は、被告綿貫運転の車両に被告大木運転の車両が追突したために発生したものである。綿貫車及び大木車は、当時ドライブのため東関東高速道路を佐倉方面から千葉方面に向つて進行中、本件事故現場直前で走行車線を綿貫車に少しおくれて走行していた大木車が、突然右方に寄つてきて、自己の走行していた走行車線のラインを八〇センチも超え、追越車線を走行していた綿貫車の左後部に接触したため、綿貫車はハンドルを取られて横向のまま滑走し、道路左側のガードレールに激突して同乗の訴外渡辺、原告中沢らに被害を与えたものである。

(二)  原告は、本件が綿貫車と大木車が抜きつ抜かれつしながら走行した結果の事故である旨、主張しているが、綿貫車についてはそのような事実は全くない。

被告綿貫は、二カ月前に運転免許を取得したばかりであり、高速道路を運転走行するのは初めてでもあつたので、右のように抜きつ抜かれつの競走などするような余裕はなく、おおむね一定の速度で追越車線を直進していたものである。ところが被告大木は、自己が運転のベテランであることを誇示して、急にスピードを上げて綿貫車を追越したり、スピードを下げてその後に追従したりし、また必要もないのに走行車線と追越車線の車線変更を度々なしたりして走行し、脇目もふらず一心に運転している被告綿貫をからかうような走行態度をとりながら本件現場まで走行してきたものである。

被告大木のこの走行態度は当時一〇〇キロ以上の高速で走行していたのであるから、大事故の原因ともなる危険をはらみ、全く無謀極まるものである。

(三)  本件事故は、被告大木の右のような走行態度で、しかも必要もないのに、急に走行車線を超えてきて追越車線上の綿貫車に追突したため、発生したもので、被告綿貫にとつては、全く予測もできず、また避けることもできない事故であつた。

なお、綿貫車が当時、制限速度である時速一〇〇キロで走行していたとしても、高速運転中であるから大木車から右のような方法で追突されれば、本件と同様の結果が発生していたであろうことは明らかであり、この意味で綿貫車が原告の主張するように時速一三〇キロのスピードを出していたとしても、その制限速度超過と本件結果との間に因果関係はない。

而して被告綿貫は、本件事故について過失は全くないものとして、なんら刑事処分を受けず、またなんらの行政処分をも課されてはいないのである。

(四)  また綿貫車には、当時本件事故につながるような構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。

以上のとおりであり、被告綿貫および被告綿貫勘一には本件事故の責任が全くない。

二  (好意同乗)

仮に、被告綿貫にも本件事故につき過失があるとすれば、同被告は好意同乗による損害賠償額の減額を主張する。訴外渡辺および原告中沢らはいずれも、被告綿貫と遊び友達であり本件事故日の前夜から行動を共にしていたものであつたところ、当日午前零時頃被告大木のアルバイト先であるどさんこラーメンに行き、更にその閉店後皆で同被告の家に行つたが、東名方面にドライブすることで一決し、訴外渡辺、原告中沢らが被告綿貫の車に乗り込んだものである。

従つて、訴外渡辺、原告中沢らは好意同乗者であるから、その運転者である被告綿貫に対する関係においては信義、公平の原則上、その損害賠償額から四割程度は減額さるべきものである。

三  (弁済)

(一)  原告渡辺への支払額(合計六三一万九、〇五一円)

1 右被告の自賠責保険より支払われた額六三〇万九、〇五〇円

2 香典一万円、その他上物

(なお田植時期には、二人を同原告方に手伝に行かせたりした。)

(二)  原告中沢への支払額(合計一、〇〇七万五、〇〇〇円)

1 右被告の自賠責保険より支払われた額一、〇〇〇万円

2 昭和四八年一二月五日見舞金として五、〇〇〇円

3 昭和四九年一月一三日雑費として二万円

4 同年五月二五日雑費として五万円

(三)  被告大木との関係で被告綿貫が左の通り負担している。

1 被告中沢に対する治療費(被告綿貫から被告大木に支払済)

昭和四八年一二月二〇日三〇万円

同年一二月二四日九万円

2 被告綿貫勘一所有の本件事故車の損害七〇万円

本件事故車は右被告が昭和四八年一〇月三一日七〇万円で購入したものであるが、一カ月後の本件事故で全損となつた。

3 被告綿貫の治療費

本件事故により右被告も受傷し、左の治療費を支払つた。

浜野病院九、〇〇〇円(昭和四八年一二月二日分)

甲田病院七、五〇〇円(同月三日以降一四日間通院分)

第八証拠関係〔略〕

理由

第一本件事故の発生

請求の原因第一項1ないし4の事実は当事者間に争いがなく。同5の事故の態様については、各成立に争いない甲第一ないし第二号証。同乙第一ないし第八号証と証人伊藤勝一の証言、被告本人綿貫芳己、同大木正実および原告本人中沢正行の各尋問結果を総合すると、前記日時場所に於て、被告大木は大木車を、被告綿貫は綿貫車を各運転して佐倉市方面から千葉市方面に向かい、大木車は走行車線を綿貫車は追越車線を各時速約一三〇キロメートルで走行中、大木車が追越車線に八〇センチメートル程進入して綿貫車の左後部に接触し、同接触により走行の自由を失なつた綿貫車は左斜め前方、大木車は右斜め前方に各暴走して、綿貫車は転倒しつつ道路左側の防護柵に二回衝突したうえ、追越車線上に出て停止したもの、大木車は中央分離帯のガードロープ支柱に二回衝突して中央分離帯上に停止したものであり、訴外渡辺は綿貫車の助手席に、原告中沢は同車の後部座席に同乗していて、後記の死傷を負つたものであることが認められる。

第二責任原因

一  (運行供用者責任)

請求原因第二項(一)の被告大木茂が大木車の、被告綿貫勘一が綿貫車の各所有者である事実は当事者間に争いがなく、右被告らが右各車の運行供用者たる地位の障害ないし消滅事由の存在を主張、立証しない本件に於ては、被告大木茂および同綿貫勘一は(なお、被告綿貫勘一については後記する通り、被告綿貫に過失が認められるから、免責の抗弁は認められない。)自賠法第三条により本件事故による原告らの損害を賠償する責任がある。

二  (一般不法行為責任)

(一)  被告大木

前示認定の本件事故の態様よりすると、被告大木は制限速度を遵守し、かつ自車走行車線をはみ出して、自車を他線に進入させることのないよう注意すべきであるに拘らず、制限速度を約三〇キロメートル超える高速で、かつ右前方の注意を欠いて漫然と疾走したため、自車が追越車線に進入して自車の右前方を疾走している綿貫車に接近するも、これに気付かず、自車右前部を綿貫車左後部に衝突させた過失が認められる。よつて、被告大木は原告らに対し、民法第七〇九条による損害賠償責任を負う。

(二)  被告綿貫

前掲乙第二ないし第五号証によれば、右綿貫車と大木車に乗車していた者らは同一グループの遊び仲間で本件事故当日も右二台の車に分乗して東名方面へドライブに行くため、幕張インター先所在のガソリンスタンドに、給油に行く途上であつたこと、被告綿貫は佐倉インターチエンジから東関東高速自動車道に入つてまもなく一度車線変更したのみで、その後は車線変更こそしなかつたものの(これに比し、被告大木は数回車線変更していたものである。)。被告大木と同様、制限速度を越え、速度の最高時に於ては時速約一七〇キロメートルの高速で疾走して、大木車を抜きつ、或いは大木車に抜かれつして運転していたことが認められ、右事実によれば、綿貫と大木の右運転態度は容易に、より高速の運転を相互に誘発、助長せしめる結果となつたであろうことが推認される。

右認定した事実を左右するに足りる証拠は、本件全証拠中に存しない。そうすると、被告綿貫に於ても、制限速度を超える高速で走行したことが、被告大木に対し、その速度を増長させることになり、前記高速のためハンドル不安定および衝突回避の間がない瞬時衝突という事態を招く一因となつたことは否めない。のみならず、高速であつたため衝突後、左斜め前方に暴走して転倒し、防護柵にも二度衝突する等して、人的、物的被害を拡大したことが認められる。

被告綿貫は本件事故当時、制限速度内である時速一〇〇キロメートルで走行していたとしても、大木車から追突されれば、本件と同様の被害が発生したであろうことは明らかであるから、綿貫車の制限速度超過と本件事故との間には因果関係が存しないと主張するけれども、時速一〇〇キロメートルで既に被害が最大限となることが明らかでない以上、速度が増せば増す程衝突した時の衝撃は強く、従つて被害も大きくなる道理であるから、右綿貫の主張は採れない。よつて、被告綿貫にも制限速度を越えて走行した過失があるから被告綿貫もまた民法第七〇九条により原告らが被つた損害を賠償する責任がある(ちなみに、被告大木と被告綿貫の前記各過失割合は七対三を以て相当とする。)。

第三損害

一  (訴外渡辺)

(一)  訴外渡辺の死亡

訴外渡辺が本件事故により即死した事実は当事者間に争いがない。

(二)  死亡により生じた損害

1 逸失利益 金一、三九〇万一、七八〇円

(イ) 成立に争いない甲第三号証と原告本人渡辺律の尋問結果によれば、訴外渡辺は本件事故当時、一七歳の健康な男子であり、高校中退後家業の農業に従事しつつ、将来自動車運転の業務に就くべく自動車教習所に通つていたものであり、同人が本件事故により死亡しなければ、一八歳から六七歳に達するまでの四九年間稼働して相当額の収入を得られたものであるところ、昭和四八年度賃金センサス第一巻第二表産業計企業規模計によれば、我国の新中卒男子全年齢平均年収額は一五三万〇、三〇〇円であるから、右年収額より生活費を五〇パーセント控除し、右稼働年数に対応するライプニツツ係数(一八・一六八七)により中間利息を控除して、訴外渡辺の得べかりし利益を算定すると、その額は金一、三九〇万一、七八〇円となる。

1,530,300円×50/100×18.1687=13,901,780円

2 葬儀費 金四〇万円

葬儀費は四〇万円の範囲内で本件事故と相当因果関係のある損害と認める。

3 総額 金一、四三〇万一、七八〇円

二  (原告渡辺律・同光子)

慰藉料 各金三〇〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告渡辺律と同渡辺光子は訴外渡辺の父母であることが認められるところ(同原告らと被告綿貫勘一、同綿貫芳己との間では右事実は争いがない。)、同原告らの訴外渡辺を本件事故により失なつたことの精神的苦痛に対する慰藉料としては、各金三〇〇万円を以つて相当とする。

三  (原告中沢)

(一)  原告中沢の受傷と治療経過ならびに後遺障害等

1 各成立に争いない甲第三、第五、第六、第一〇、第一三、第一四号証によれば、原告中沢は本件事故により頭部打撲傷、背椎骨折、右肺破裂、背髄損傷腸管破裂等の傷害を受け、その治療のため、左記の通り合計六九七日間入院したことが認められる。

(イ) 浜野病院

昭和四八年一二月二日から同月二四日まで(入院期間二三日)

(ロ) 九十九里ホーム病院

昭和四八年一二月二四日から昭和四九年一〇月一四日まで(入院期間二九五日)

(ハ) 国立療養所箱根病院

昭和四九年一〇月一五日から昭和五〇年一一月一日まで(入院期間三八〇日)

2 各成立に争いない甲第八、第一一、第二一、第二二号証および原告本人中沢正行、同中沢竹行の各尋問結果を総合すると、原告中沢の後遺病状としては、同人は実入院日数六九七日に亘る長期間の治療をうけ、昭和五〇年一一月一日症状固定したが、両下肢の運動及び知覚の完全麻痺により両下肢の用を全廃し、その他性器、膀胱、直腸の損傷によりインポテンツ、自然排尿、排便不可能となり、引続き将来も床ずれ(左坐骨、仙骨の褥瘡)による治療および定期検査(年一回、最少限三日間を要する。)のため入院を要する状態にあり、自賠責保険では後遺障害第一三、第一四号証によれば、原告中沢は本件事故により頭部打撲傷、背椎骨折、右肺破裂、背髄損傷腸管破裂等の傷害を受け、その治療のため、左記の通り合計六九七日間入院したことが認められる。

(イ) 浜野病院

昭和四八年一二月二日から同月二四日まで(入院期間二三日)

(ロ) 九十九里ホーム病院

昭和四八年一二月二四日から昭和四九年一〇月一四日まで(入院期間二九五日)

(ハ) 国立療養所箱根病院

昭和四九年一〇月一五日から昭和五〇年一一月一日まで(入院期間三八〇日)

3 各成立に争いない甲第八、第一一、第二一、第二二号証および原告本人中沢正行、同中沢竹行の各尋問結果を総合すると、原告中沢の後遺症状としては、同人は実入院日数六九七日に亘る長期間の治療をうけ、昭和五〇年一一月一日症状固定したが、両下肢の運動及び知覚の完全麻痺により両下肢の用を全廃し、その他性器、膀胱、直腸の損傷によりインポテンツ、自然排尿、排便不可能となり、引続き将来も床ずれ(左坐骨、仙骨の褥瘡)による治療および定期検査(年一回、最小限三日間を要する。)のため入院を要する状態にあり、自賠責保険では後遺障害等第一級第五号(半身不随となつたもの)に認定されたことが認められる。

(二)  治療関係費

1 治療費 金二六八万〇、九八四円

前掲甲第五、第六、第一三、第一四号証と成立に争いのない丙第二号証の一、二によれば、原告中沢の治療費として、左記金額を要したことが認められる。

(イ) 浜野病院(昭和四八年一二月二日から同月二四日まで)金七六万九、七二〇円

(ロ) 九十九里ホーム病院(昭和四八年一二月二四日から昭和四九年四月一一日まで)金七四万八、六一〇円

(ハ) 九十九里ホーム病院(昭和四九年四月一二日から同年一〇月一四日まで)金七九万七、〇六〇円

原告中沢は右(ハ)の治療費額を金一二九万二、六八〇円と主張するが、金七九万七、〇六〇円を越える分については、それを裏付けるに足りる証拠は未だ存しない。

(ニ) 国立療養所箱根病院(昭和四九年一〇月一五日から昭和五一年二月一一日まで)金三六万五、五九四円

2 付添看護費 合計金一一四万四、八八〇円

(イ) 家政婦付添費 金五七万四、八八〇円

いずれも成立に争いのない丙第二号証の九ないし同号証の二〇によれば、原告中沢が九十九里ホーム病院に入院していた昭和四九年四月六日より同年一〇月一五日までの一三九日間、家政婦が付添い、その看護料として合計金五七万四、八八〇円を要したことが認められる。

(ロ) 近親者付添費 金五七万円

原告本人中沢竹行と同中沢正行尋問の各結果ならびに経験則によると、原告中沢が浜野病院に入院した昭和四八年一二月二四日から九十九里ホーム病院を退院した昭和四九年一〇月一四日までの三一七日間殆んど欠かさず、その両親である原告中沢竹行や同中沢みつが付添つていたことが認められる。入院当初は原告中沢の意識が回復せず、重篤状態であつたから、右両者が交代で、また家政婦が付いた昭和四九年四月以降も、夜間の付添とか、原告中沢の精神状態が不安定で肉親の看護を要したため、原告中沢みつが付添うことを余儀なくされたものである。但し、農繁期には一時、付添わなかつた日があつたと認められるから、近親者の付添看護費として前記三一七日の九割に当たる二八五日につき、一日二、〇〇〇円の割合で算定した金五七万円を限度として認めるものである。

3 入院雑費 金三四万八、五〇〇円

前記認定事実と経験則によれば、原告中沢は合計六九七日間入院し、その間の雑費として一日五〇〇円程度を要したと認められるから、入院雑費は合計金三四万八、五〇〇円となる。

(三)  逸失利益

1 休業損害 金一三八万円

原告本人中沢竹行と同中沢正行尋問の各結果によれば、原告中沢は本件事故当時、清水鉄工所に勤め一日三、〇〇〇円少くとも一カ月六万円の収入を得ていたところ、本件事故による受傷で昭和四八年一二月二日から昭和五〇年一一月一日(症状固定時)までの一年一一カ月休業したから休業による逸失利益は金一三八万円となる。

2 将来の逸失利益 金二、七六六万三、三八六円

(イ) 原告中沢の自賠責保険による後遺障害認定は第一級第五号であるから、その労働能力喪失率は一〇〇パーセントとみられるところ、成立に争いのない甲第一九号証、原告中沢と被告大木茂、同正実間では成立に争いなく、同原告と被告綿貫勘一同芳己間では同原告の供述により真正に成立したと認められる甲第二〇号証および同原告本人尋問の結果によれば、原告中沢は前記の如き後遺症状にも拘らず、昭和五二年五月一日から神奈川県にて彫刻工として職場適応訓練をうけ、昭和五三年五月より同県所在の星久商会に勤務し、昭和五四年一月現在、木彫の仕事をして月六万五、〇〇〇円から七万円程度(日給三、〇〇〇円)の収入を得ていることが認められる。

(ロ) そこで、原告中沢に右収入があることを、同原告の将来の逸失利益の算定に斟酌すべきか、否かについて検討するに、原告中沢正行の供述により真正に成立したと認められる甲第一八号証と、同原告の本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、同原告は右得た収入を家賃(月二万九、〇〇〇円)、通勤車用のガソリン代(月一万五、〇〇〇円)、尿収器代(月一万二、〇〇〇円)、失禁で汚損したズボン、パンツ等の購入代(月一万二、〇〇〇円)等で費消しているものであり、尿収器代等は同原告が健康体であれば要しないところ、同原告はそれら経費を本件訴訟で請求していず、また家賃およびガソリン代についても同原告に於て彫刻工として稼働しているからこそ出費されるいわば職業費であると認められる。右収入の支出先が右のようであるとすると、原告中沢が現在得ている収入額を、同原告が健康体であつたならば、将来得られたであろう収入額から控除せずとも、同原告に於て二重に利益を得ていることにはならず、むしろ、原告中沢の損害回復の趣旨からすると将来の逸失利益から現在の収入額は控除されるべきではないと考える。このことは同原告本人尋問の結果により認められる同原告が稼働できるのは、身体の調子が良い時に限られるとか、いつまで右仕事が継続的にあり、それに就業しうるか等、極めて不安定な状況にあることからみても相当である。

(ハ) 従つて、原告中沢に於て控除されるべき収入は零として、同原告の将来の逸失利益を算定すると原告中沢本人尋問の結果によれば、同原告の学歴は高校中退であり、昭和四八年度賃金センサス第一巻第二表、産業計、企業規模計によると、我国の新中卒男子全年齢平均給与額は年収金一五三万〇、三〇〇円と認められるから、原告中沢も本件事故にあわなければ、右収入額を下らない収入を得られたものというべく、前記後遺症状の固定時である一九歳から六七歳に達するまでの稼働年数は四八年間であるから、その中間利息をライプニツツ方式(係数一八・〇七七一)で控除すると、原告中沢の得べかりし利益の現価は金二、七六六万三、三八六円となるものである。

1,530,300円×100/100×18.0771=27,663,386円

(四)  将来の治療費

原告中沢に於て、引続き将来も褥瘡の治療および定期検査(年一回、最小限三日間を要する。)のため、入院を要する状態にあることは前記認定した通りであり、それに伴う出費も余儀なくされることは容易に推認されるのであるが、それに要する費用の額について、立証がなされていない以上、それを認めることはできない。

(五)  車イス代 金四〇万六、一九三円

原告中沢の供述により真正に成立したものと認める甲第一五号証と同原告の本人尋問の結果ならびに前記認定したところによれば、原告中沢は生涯、車イスでの生活を送るほかなく、車イス一台の購入代金は金八万九、〇〇〇円、その耐用年数は四年と各認められるから、車イス代として年間二万二、二五〇円の出費を余儀なくされるものである。そして、平均余命年数表からすると、原告中沢は今後五〇年以上生存すると認められるから、五〇年分につきライプニツツ方式(係数一八・二五五九)により中間利息を控除し、原告中沢が生涯要する車イス代の合計額を算定すると、金四〇万六、一九三円となる。

(六)  居宅改造費 金二〇〇万円

原告中沢と被告綿貫勘一、同芳己間では成立に争いなく、同原告と被告大木茂、同正実間では同原告の供述により真正に成立したと認められる甲第二三号証と原告本人中沢竹行、同正行尋問の各結果を総合すれば、原告中沢は国立療養所箱根病院を退院後は自宅にて、両親と共に居住する積りであつたので、同病院退院後自宅へ戻り、千葉県で同原告に適する職を捜したが、見つからなかつたため、やむなく友人の紹介により神奈川県所在の星久商会で木彫の仕事に就くことにし、昭和五二年二月より平塚の賃借アパートへ転居し、現在も同所に居住していることが認められる。しかしながら、原告中沢は適職さえあれば、自宅で暮らすことを望んでおり、星久商会での稼働も不安定なことからいずれは自宅に戻るであろうことが推認される。そして、自宅を原告中沢に於て、自分で身の廻りの世話が行えるよう、また車イスの移動が可能かつ容易にできるよう改造することは、原告中沢が生活を維持するうえで必要、不可欠であり、これに要する費用は金六四三万円と見積られるところ、同費用は相当と認められる範囲内において本件事故と因果関係に立つ損害である。既に、原告中沢に於て、国立療養所箱根病院を退院して自宅へ帰つた際、自宅の庭を一部コンクリートにし、浴室の床を高くし、シヤワーを取り付け、トイレを洋式に変え、ベツトを購入する等して、約三二万円程、支出していることが認められ、さらに、将来独立して自活できるよう整備する必要があるから、自宅改造費として原告中沢の請求する金二〇〇万円の限度において、これを認める。

(七)  その他 合計金一〇万八、九二〇円

いずれも成立に争いない丙第一号証、丙第二号証の八と同号証の二四によれば、原告中沢は本件事故による負傷に伴う出費として被告大木茂に於て立替支払済の左記の費用を要したものである。

1 マツト代 金四万五、〇〇〇円

2 車イス代の内金(請求外)金三万円

3 入院のための衣料等の購入代 金三万〇、九二〇円

4 家政婦への謝礼 金三、〇〇〇円

(八)  慰藉料 金一、二〇〇万円

原告中沢の二三カ月余りの入院期間および半身不髄という後遺症状からすると、同原告の慰藉料額を金一、二〇〇万円とするのを相当とする。

(九)  総額 金四、七七三万二、八六三円

四  (原告中沢竹行、同みつ)

慰藉料 各金一五〇万円

原告本人中沢竹行尋問の結果によれば、原告は中沢竹行、同みつは原告中沢の父母であるところ(同事実は、同原告らと被告綿貫勘一、同芳己間では争いがない。)、原告中沢が本件事故により前記の重傷を負つたことで、同原告らは原告中沢を漸く社会人に育て、同人のこれからの活躍を心待ちにしていたのに、かかる期待を打ち砕かれるとともに、原告中沢が長期間に亘る入院生活を送る間、同原告と共に苦しみ、さらに将来も生命ある限り原告中沢のために物心両面にわたり精神的苦痛を忍んでいかなければならないことが認められる。従つて、原告中沢夫妻のそれら精神的苦痛に対する慰藉料としては、各金一五〇万円を以て相当とする。

第四損害額の減額事由

一  前記責任原因の二(一般不法行為責任)中で認定したところと、前掲甲第二号証、同乙第一号証および被告本人大木正実の尋問結果を総合すると、

(一)  訴外渡辺、原告中沢、訴外伊藤勝一らは本件事故当時、綿貫車と大木車に同乗(前車には訴外渡辺と原告中沢、後車には訴外伊藤)させてもらつてドライブを楽しむという利益を享受していたものであること(なお、前掲乙第二ないし第八号証によれば、本件事故当日の運転は、被告大木宅で誰いうともなく東名方面へドライブすることに決まつたもので、被告大木が主張するように、被告綿貫、原告中沢、訴外渡辺らの勧誘、要望により当日のドライブがなされたものではない。)。

(二)  大木車および渡貫車とも、本件事故当時、時速約一三〇キロメートルの高速で(時には時速約一七〇キロのスピードが出ていた。)抜きつ、抜かれつして走行していたものであり、同乗していた訴外渡辺および原告中沢らに於ても、そのような運転態度では事故が生ずる危険があることを当然予想し、又は予想し得べきであつたから、運転者である被告綿貫や被告大木に対し、警告して右運転態度を改めるよう求めるべきであつたのに、それを求めた事実は認められず、訴外渡辺および原告中沢らは事故発生の危険を甘受していたものとみられても致し方ないこと。

(三)  さらに、大木車が綿貫車に衝突した直後、訴外渡辺と原告中沢はいずれも車外に放り出されて、訴外渡辺は道路左側の防護柵付近に、原告中沢は追越車線上の中央分離帯寄りに転倒したのであるが、それは綿貫車が車のドアをロツクしていなかつたため、右車外に放り出されて死亡或いは重傷を負つたと認められるから、訴外渡辺および原告中沢にはドアをロツクしなかつた過失が認められ、同過失により被害が増大されたことの各事実を認定することができる。

(四)  被告大木正実、同茂は原告渡辺夫妻および同中沢夫妻の訴外渡辺、原告中沢に対する監督義務懈怠をいうけれども、右両名とも高校を中退後、訴外渡辺は農業の手伝い、原告中沢は鉄工所に勤務して稼働していた者であり、かつ車の同乗者であつて、その運転に関与することもなかつたことからすると、右原告らに対し監督義務懈怠を問うまでには至らない。

二  そして、右(一)ないし(三)の事実は、訴外渡辺と原告中沢の損害額の算定に当り、右の者らの過失又は危険の受忍として或いは公平の見地からして、前記損害額を減額すべき事由であるところ、右各事由の態様に原告本人渡辺律と同中沢正行尋問の各結果から認められる右同乗者らは本件事故当時車の運転ができなかつたこと、および右同乗者らは被告大木、同綿貫より一歳か二歳年下であつたこと等を斟酌すると、右の者らの全損害額の二〇パーセントを減額するのが相当である。そうすると、訴外渡辺につき、金一、四三〇万一、七八〇円を二〇パーセント減額した額である金一、一四四万一、四二四円、原告中沢につき、金四、七七三万二、八六三円を二〇パーセント減額した額である金三、八一八万六、二九〇円がそれぞれ、右の者らの損害額となる。

第五損害の填補

一  (原告渡辺律、同光子に対する弁済)

(一)  自賠責保険より金一、二六一万八、一〇〇円

(右事実は当事者間に争いがない。)

(二)  被告綿貫勘一より香典として金一万円

(右事実は原告本人渡辺律尋問の結果と弁論の全趣旨により認められる。)

(三)  総額金一、二六二万八、一〇〇円

二  (原告中沢に対する弁済)

(一)  自賠責保険より金二、〇〇〇万円

(右事実は当事者間に争いがない。)

(二)  被告大木茂より合計金二〇一万九、五〇〇円

1 浜野病院分 金三七万九、七二〇円

(前掲丙第一号証と同二号証の一、二により認める。)

2 九十九里ホーム病院分 金六二万一、一五〇円

(前掲丙第一号証と成立に争いのない丙第二号証の三ないし七により認める。)

3 付添看護費 金五七万四、八八〇円

(前掲丙第二号証の九ないし二〇により認める。)

4 見舞金 金三三万四、八三〇円

(前掲丙第一号証と成立に争いのない丙第二号証の二一ないし二三により認める。)

5 その他 合計金一〇万八、九二〇円

(右は三、(原告中沢の損害)中、(七)のその他、1ないし4に於て認定した支払分である。)

(三)  被告綿貫勘一より合計金四六万五、〇〇〇円

1 浜野病院分 金三九万円

(右は前掲丙第二号証の一、二より認める。)

2 雑費として 金七万円

(成立に争いのない乙第九号証と原告本人中沢竹行尋問の結果により認める。)

3 見舞金 金五、〇〇〇円

(原告本人中沢竹行尋問の結果により認める。)

4 なお、被告綿貫勘一は綿貫車の損害との、被告綿貫芳己は同被告に要した治療費との相殺をいうが、その受働債権は不法行為に基づく損害賠償権であるから、相殺は許されない。

(四)  総額 金二、二四八万四、五〇〇円

第六損害填補後の残額

一  (原告渡辺律、同光子分)

前記認定したところによれば、訴外渡辺の減額事由斟酌後の損害額は金一、一四四万一、四二四円であり、訴外渡辺の父母である原告渡辺律、同光子に於て右損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続したところ、その額は各金五七二万〇、七一二円となる。従つて、右原告らの賠償請求額は各右額にそれぞれ慰藉料の金三〇〇万円を合算した金八七二万〇、七一二円であるところ、同原告らは既に金一、二六二万八、一〇〇円(各六三一万四、〇五〇円ずつ)の弁済をうけているから、同原告らの右請求残額は各金二四〇万六、六六二円となるものである。

二  (原告中沢分)

原告中沢の被告らに対し賠償請求しうる額は金三、八一八万六、二九〇円であるところ、前記認定によれば、同原告は既に総額金二、二四八万四、五〇〇円の弁済をうけているから、その請求残額は金一、五七〇万一、七九〇円となるものである。

第七弁護士費用

原告本人渡辺律、同中沢竹行尋問の各結果によれば、原告らは被告らが任意に支払をしないので、原告ら訴訟代理人に本件訴訟を依頼し、相当額の着手金、報酬額の支払を約したことが認められるが、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用額としては、原告渡辺夫妻に金五〇万円(各金二五万円ずつ)、原告中沢夫妻に金一〇〇万円(各金五〇万円ずつ)を認める。

第八結論

以上によれば、被告らは各自、原告渡辺律、同光子に対し、各二六五万六、六六二円およびこれに対する本件不法行為の日の後である昭和五一年八月一五日から各支払済まで年五分の割合による遅延損害金を、原告中沢正行に対し、金一、五七〇万一、七九〇円およびこれに対する前同日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を、原告中沢竹行、同みつに対し各金二〇〇万円およびこれに対する前同日から各支払済まで年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告中沢竹行、同みつの本訴請求は全部認容するが、その他の原告らの本訴請求は右の限度で正当として認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原昌子)

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